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 ふたたび「宮が瀬」へ


編集担当より:福田代表の宮が瀬訪問記です。編集の都合で一部の表やデータを省略しました。取水量の詳細や宮が瀬地域の地図などは次回に掲載いたします。

 山梨県から神奈川県に入る桂川は、相模川となり相模湾にそそぐ。その間、この本支流は幾つかのダムによって刻まれ(相模湖、津久井湖、奥相模湖など)そして最後に「宮が瀬ダム」になる。過去100年、京浜地方に水を供給し続けたこの流域、とくに高度成長期、首都圏に水をとの要請に答え、過大な水需要計画に基づき国、県の圧力の下に建設を強行された人々との長年にわたる苦闘の体験を共有しないかぎり、「宮が瀬」の教訓は理解出来ないであろう。
去る8月25、26日、私は2回目の「宮が瀬」訪問をした。前回「流域の会」一行に同行してから約半年が経っていた。降って沸いたような「選挙」を睨んで、9月に「宮が瀬」の人々との交流会を計画すべくその打ち合わせのためであった。先方は小室敬二氏(神奈川の自然と環境を守る連絡会世話人、元津久井町議)、文字どおりいつもお世話になる方と、連絡役の藤川昇君(文挟出身、元林野庁)、翌日にもう一人落合清春氏が加わってくれた。
初日は小室氏の世話でダム湖畔に一泊、「思川開発計画」と「地下導水管」の概要を説明。同氏は図上で直ちに鹿沼との共同研究を提案してくれた。
今回の訪問で「宮が瀬」ダムの施設(総貯水量1億9300万トン、日本13位)と周辺整備について、詳細に知ることが出来た。ダムの本体工事に加えて付帯工事、補償金、周辺関連事業などを含めると1兆5千億円以上にのぼると言われる。最新の工法、完璧な施設、都市近郊リゾート地を目指すという周辺整備計画など、誠に見事ではある。
さらに「宮が瀬ダム」に関連して、県は相模川の厚木市と海老名市にかけて「相模大堰」を計画しており、(堰堤の長さ495m、湛水区域は上流1.3kmにおよび、ここから1日130万トンの取水をする。(1995年10月着工、ダムは本体工事を終わり貯水を開始、導水管工事は未了)
 小室氏は1987年から1988年にかけての神奈川県内各河川の取水権と取水量の実績を見せてくれた。詳細は省略するが、それによると実際の取水量は取水権の60%であり、現状では十分足りている。ところが神奈川県は1973年、「新総合計画」のなかで1980年代後半には1日あたリ672万トンの水が必

要という予測を立てた。この予測は大きく外れ1988年になつても相模川と酒匂川の合計実績は予測値672トンの半分に止まつている。このような状況をみても新たな水資源開発の必要性はあると思えない。それなのに、なぜまた「宮が瀬ダム」や「相模大堰」なのか。
 相模川の支流、中津川とそのまた支流の早戸川にダムをつくる小規模な県の計画(1967)に後から国がのりだしてきて、巨大なダムに変更された。これが「宮が瀬ダム」である。2年後に相模川は1級河川に昇格し、「宮が瀬ダム」は建設省直轄の事業となる(どこかで聞いたような…)。流域各地の反対闘争にもかかわらずダム開発を強引に押し進めるこの姿勢に対し、小室氏は痛烈に指摘する。「土建業界と関連企業と金融資本と政治家、建設官僚とが結託して大儲けをはかる事業である」と。
 小室氏の話に時々、「我々は反対運動をしたのではなく、条件闘争をしたのだ」とか「技術論からはいるとうまくいかない」などの言葉があり、その真意をはかり兼ねて居たが、同氏の資料などで段々理解できた。ダムの対象地域やその上流、下流は広く、いくつかの町村に別れ、それらの地域の中にも利害関係があり、各地に反対運動がおこり、また条件闘争もあったと言うことである。また、急激に国、県あるいは町の圧力がかかり、地域の協力態勢が出来ずやむなく条件闘争に切り替えた例もあり、我々の参考になることも多い。以下に二三の例をあげる。
・愛川町(下流)町長、議会をはじめ
 反対運動(S・47〜S・53)
・清川村、津久井町
 条件闘争(山林地主、財産区、に土地代金が入る)
・津久井町 条件闘争
 (導水管と簡易水道、水源変更問題)
・愛川町 町独自の「宮が瀬ダム影響調査」
 (愛知工大・大根義男教授・横浜国大・宮脇昭
  教授ら5人。これらの御用学者たちに
  だまされ、条件闘争に変わる)
 上記「影響調査報告書」について小室氏は語る。地質についてはいいかげんな評価しかしていない。ダムサイトの予定地点のみだけで貯水池の周辺地域と流入する河川の流域についての評価は全くしていない。また、地震発生の原因となる活断層として「鶴川断層」と「煤ケ谷断層」があるのに「両断層は活断層ではない」と結論づけている。生越忠氏はこれを克明に分析し「宮が瀬ダム」がどんなに危険性の高いものかを詳細に分析し、鋭い指摘をした。(生越忠 宮が瀬ダム影響調査報告書が説く「ダム安全論」のまやかし・「開発と公害」23号)
 ほぼ同じ時期に計画されながら、殆ど手付かずの状態にある「思川開発計画」のことを思えば、「宮

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